先人の拓いたこの地を風土1,000年の未来に向けて、今を生きる私たちがすべきことにしっかりと向き合い、成すべきことを成す、その思いをお伝えいたします。

 

 景観10年、風景100年、そして風土1,000年と言う言葉があり、その土地が形成される年数を表現しています。倶知安は1892年(明治25年)開墾が始まりました。風景が形成された、とも言えるのでしょうが、海外からの不動産投資の影響は100年の年月をかけ形成された風景をも数年で一変させる様相を呈しています。私がこの町で暮らし始めた昭和52年、国、北海道の出先機関の所在地として羊蹄山麓の中核都市としての役割を担っている町の印象を持ちました。

 

 私たちは日常的に国、都道府県、そして市町村などの「発展のために・・」等と言いますが、私の信条は「そこで暮らす住民のため」なのではないかと。国であれ都道府県であれ、住民がそこに存在して初めて国、都道府県が成り立つ、と思うのです。蛇足ですが、国際法上、国家としての要件はご存知の通り、国土(領海、領空)、人民、そして政府(主権)を持つことであり、言い換えれば、国、都道府県を構成しているのは市町村であり、正にそこで暮らしている住民が道民、国民なのです。

 

 ならば、最も大切な住民のために成される事業であって、決して「自治体」の発展ではない、と考えています。町の為に成るのは、最終的に町民のためではないのか・・違うと思っています。言うまでも無く実施される事業の原資は税金です。納税者、すなわち民間企業で言うなら、株主です。民間企業は社会貢献、そしてなにより株主の利益が優先される事業をすべきですし、現にそうしています。ならば、地方自治体においても然りと思うのです。

 

 限られた財源から実施するのですから、事業内容は常に「住民の利益」にどう反映するかを精査、審査すべき役割が議会に課せられている最も重要な使命と私は考えます。

 ※ この点については、討議資料にも述べていますが、別ページの「住民と議会」のページ作成後、また述べさせていただきます。

                                                                                                                                                                                                  2019.3.18

 

ここに紹介させていただくのは、当町が2003年に開基150年の年には、この町はどの様な町に発展しているか、広く町民に呼び掛け「未来予想図」を募集した際、私が思い描く倶知安を、そのままに書きなぐり応募した時の原稿そのままをアップしているのが、下に紹介する予想図です。

 とても長い文章となっています。開基150年は2041年になります。まるで夢物語の様な内容ですが、予想は即ち、描いた未来に向け今しておくこと、これからしなくてはならない事などを考えながら文章に託したのですが、一つだけ残念だったのは、公募締切後に何通の応募あったのかを聞きましたところ、私だけでした、と。

 

 そうか、夢も希望も持てないのか、とは思いませんでしたが、寂しかったですね。

 

「お前ほど暇ではないんだよ」と、言われればそれまでだけども、夢なくして未来も輝かず、希望持たずして今に彷徨う、そんな思いにもなっちゃた事を改め思い出しましたが、明るく、元気よく共に未来に向かって、進みましょうよ。人はみな、オギャーと泣いて生まれてくる。だから生きているうちは笑って生きる。

                                                  2019.3.26

この未来予想図を紹介してくれた3月号に、応募1人だった事もあったのでしょう、予想図の書き出し部分と、結びを担当者が紹介してくださいました。

 

 16年前、当時はホテルニセコアルペンの営業に籍を置き仕事していました。在職中、一番の思い出は兵庫県尼崎市立中学校のスキー修学旅行を4月の期間、誘致できたことでした。飛行機利用が解禁となり、スキーレンタル会社の社長とタッグで、初年度6校からスタートし、春のスキー場が一段落する期間だけに、最初の中学校を迎えた時の事は今でも忘れられません。

 なによりも、この受け入れに全ての関係者の多大な協力で成し遂げた事が一番に嬉しかったことでした。仕事は自分のためにしているのではない、ということを実感できました。

 

 

 

 

 

雪の結晶をシルバーのボディに描いた東京発の新幹線が、【ニセコ倶知安駅】に定刻到着し大勢が楽しげに降り立ってきた。ニセコのスキー場に向かうため、モノレールに乗り換える人たちや、すっかりと名物となった馬橇に乗るため、駅前広場に急ぐ家族連れなど今日も賑やかな一日の始まりだ。馬橇は車両の乗り入れを時間帯で制限している商店街をゆっくりと回り、好きな場所で乗り降りが出来るようになっている。商店街は、統一した景観を目指して街づくりが進められたので、旅人があちらこちらで記念撮影している。どの店も歴史の積み重ねを感じさせるディスプレイに人気がある。お客様をもてなしている、名水を使ったお茶のサービスは、もう数十年になり、広く【くっちあんホスピタリティーとして知れ渡り、日本各地から毎年視察が訪れている】

 

 

 

商店街のどこの店でも取り扱っている商品がある。ミネラルウォーターと名産の男爵イモを、どの地域にも発送してくれる。特に男爵イモは予約をしておくと収穫後すぐに送ってくれるので、今では数量限定の抽選になっているが、年々その人気は高まる一方だ。馬橇に乗って町外れのモータープールまで行き、そこからエコカーのタクシーに乗り換えてスキー場に向かう。タクシーで行けるのはスキー場の手前にある【ライフマイタウン】までだ。ここからはエコカーを含む動力付き車両の乗り入れは禁止されている。例外は、消防車と救急車だけである。ここからは、駅前と同様に馬橇かモノレールを使う事になる。

 

 

 

スキー場に移動する前【ライフマイタウン】に知り合いを訪ねることにした。このケア施設は、2,010年前後にスノースポーツの効能が予防医学を含めて、健康に極めて高い有効性が認められ、特にスキーやスノーボードのスピードからくる緊張感と、集中力の維持が、脳に対して刺激を与え老化現象にブレーキをかけている点、また、寒冷の環境が生理的機能を高めるなど、スノースポーツが世界的に注目を集めている。そのような背景から、国のモデル施設として建設され、元気印の高齢者の方々が日本は元よりアジア、オセアニアからもこの施設で生活している。現在1万人近くがここで快適に生活しているとのことだ。ここで生活している方々は異口同音に、【地球は水の惑星、私達の体はほとんどが水分で出来ている。水が素晴らしいという事は何にも変えがたい財産】と言う。また、こうも言う【スキーをしているから健康なんじゃない。いつまでもスキーをしていたいと言う情熱を持ち続ける気持ちが大切なんだ】と。確か20世紀の諺に【健全なる精神は健全なる肉体に宿る】と言うのがあったけれど、ここにいる方々を見ていると理解出来る。

 

 

 

冬のスノースポーツはモチロンの事、春から秋の季節には、ここの恵まれた自然環境の中で、退屈と言う言葉を見つける事が出来ない程、毎日時間を有効に使っている。

 

毎年、居住棟の増築を行っているが、入居希望者が多く抽選も高倍率と聞く。

 

訪ねた知人は、早くにスキー場に出かけ留守だったので、早速スキー場に向かう事にした。

 

 

 

モノレールはほぼ満車でホームに入って来た。街で買い物を済ませてきた入居者が降り、スキーに出かける方々が乗り込んできた。用具はスキー場の専用ロッカーに預けているので、身体一つで出かける事が出来る。間もなくスキー場に到着した。スキー場はいつもの事ながら、大勢のスノースポーツ愛好者が思い思いにシュプールを描いている。この光景は、ずいぶんと古い記録映像を見ても変わらない光景だ。しかし、レストハウスなどは、昔とは比べものにならない位に快適な空間となっているようだ。

 

 

 

登山電車なども昔はなかったと聞く。もっとも、スキー場は雪のある期間だけ観光客が来ていた時代だったらしいが、今では一年を通して観光客が絶える事はなく、スキー場のゲレンデは、春から秋、季節毎の花が一面に咲き誇っている。つい、祖父から聞かされ続けてきた、スキー場と言ってしまうが、今は単に【ニセコひらふ】のネーミングで通年のリゾートを表現している。ニセコひらふの夜は、地域、国の交歓パーティーが毎夜開催される。ラフなスタイルで自由に楽しむ会場、フォーマルなドレスアップが似合う会場などがあり、長期滞在が主流となった日本のバカンスにあって、ここはトップレベルのステータスグレードを誇るパーティメニューがラインナップされている。

 

 

 

 5月にスノーシーズンが終え、新緑が芽吹く季節になると、日本はもとより近隣各国からの教育旅行で周辺は子供達の歓声が毎日こだまする。21世紀前半に【ゆとり教育の実践が導入】されてから、恵まれた自然環境の中で数々の体験を目的とした旅行が定着し、ライフマイタウンの入居者との世代交流も盛んに行われる。特に核家族化が加速度的に進んだ影響からか、高齢者の方々から聞く【ずいぶん前の話】は、子供達には大人気となっている。目をキラキラして聞き入っている。

 

 

 

タウンから直ぐにある、サンモリッツ大橋周辺は、半世紀にも渡って【清流日本一】を誇る、尻別川の清らかな水に親しむ、リバーパークが整備されている。清流日本一を維持するための、先人の努力は【リバーヒストリーセンター】にある、多くの展示物が物語っている。自然を大切に保護するだけではなく、自然の大切さ、ありがたさをより身近に感じさせる意味においても、このリバーパークの持つ意義は国際的な自然保護協会からも、高い評価を得、整備資金が毎年交付され、有効に活用されている。それらのことを雄弁に物語っているのは、子供達の活き活きと楽しそうな顔だ。きっと、このパークでの体験が、自然を大切にし、必ず次世代に引き継ぐ精神を育んでいく事だろう。

 

 

 

リバーパークに来ていつも思い浮かぶ言葉がある。うろ憶えになってしまっているけれど、祖父が教えてくれた【全ての事は子供達のために】。アメリカ先住民族の言葉と言っていた。

 

 

 

教育旅行の体験学習には、自然体験と人気を二分している農作業体験がある。都市圏において【土に親しむ】事は贅沢な事となってしまった。牛、馬などの【本物】を見た事のある子供は激減している。冬の馬橇の人気もその辺にあるのかもしれない。学校によっては春の種蒔きと秋の収穫の二回、旅行を実施している。子供達にとっては体験する全ての事が新鮮で、驚きの連続のようだ。20世紀は飽食と飢餓が世界中に溢れていたが、食料を自ら額に汗して生産する苦労は貴重だ。人口が集中してしまう都市圏において人間をとり巻く環境が無機質化して行くのと反比例して、人間が自然の持つ【癒し】を求めるのは本能的な事で、当然の帰結である。

 

 

 

当たり前と思っていた豊な大自然が、ここのエリア全体の経済基盤を支えている。高速道路網の整備も進んで、環境車両のエコカーでも短時間に移動が可能となっているが、羊蹄山山麓の一周、ニセコアンヌプリを一周するサイクリングロードも整備されて、春から秋の期間は、大勢のサイクリング愛好者が多彩なコースで心地良い汗を流している。サイクリングロードに設けられている羊蹄山の湧水飲み場は、通年で特に人気の高いポイントになっている。この湧水は何百年間も変わることなく、コンコンと湧き出でている。湧き出でる清らかな湧水をジッと見続けていたら、祖父の言葉を思い出した。

 

 

 

「人間が当たり前と思っていることに本当は最も大切な真実が隠されている」今年、2041年は、ここの開基150年を迎える記念の年だ。おおよそ70年前の1972年にスキーの街を宣言し、21世紀初頭から、スノースポーツに因んだイベントが開催されてきている。今年は宣言をした12月20日に150年のアニバサリーイヤーにふさわしいイベントを予定しているとの事で、話題になっている。

 

 

 

また、姉妹都市締結77周年にも当たり、こちらも親善交流の数々を予定しているとの事だ。スキーインストラクターの交流も年々盛んになり、今ではこちらから派遣するインストラクターを心待ちにして予約しているヨーロッパの王侯貴族もいるとの事である。

 

 

 

8月に開基150年式典が開催される。何十年も続いている【くっちあんじゃが祭】に式典を合わせたとのことで、ここに在住されている方はもちろんの事、縁の方々も大勢招待されているとの事である。明治という時代に、樹木で覆われた倶知安原野に開墾のクワが入り、その苦労は想像すらする事は出来ないが今日、この街には国内はもとより、海外から年間数百万を超える観光客が訪れる、ヘルスケアリゾートに成長した。

 

羊蹄山山頂から眺め見る風景はきっと時代、時代の姿、形があったことだろう。九合目の避難小屋は、少しだけ快適になったけれども、祖父と登った30年程前とほとんど変わらずにアンヌプリから始まるニセコ連山を見下ろしている。

 

 

 

二桁の代に入った管理人の好青年が毎年大勢の登山者を迎えていると事と、ご来光、満天の星空そして日本海に沈みゆく夕日の例えようの無い荘厳さを熱心に語ってくれた。

 

 

 

150年の長い年月を経た我が故郷の姿を山頂から見渡した今、緑豊なたおやかな時間の流れ、優しさ、厳しさ、力強さ、そして人間を包み込む大きな大きな【愛】の大地。

 

この先々、何百年に渡って全ての命が、この豊な大地で育まれていく事だろう。山肌を一服の風が、咲き誇ったキバナシャクナゲを涼しげに揺らして吹き抜けていった。         

                    開基 200年へとつづく