イチケイのカラス11話後編を観終えました。実に面白かった。殿であれば「余は大満足じゃ」と家臣に褒美を使わすな、絶対に。
さて、何故にここまで面白かったのか考察してみた。まずは役者さんたちの演技力の高さ。次に悪役にはそこに立っているだけで、オメェー悪人だろう、と衆人一致する様な役者を配役したこと。フィクションでの悪役の出来不出来で作品が決まると私は思っているのだ。悪が際立つとそれ以上に正義にスポットライトが強くあたる。
ドラマのテンポが良い。作品の中にふんだんに笑いを仕込んでいる。そして、刑事裁判での被告と検察側が、真実を求めタッグを組むので、私の中ではここにハマッタかも知れない。
さてさて、私が録画して保存している法廷モノ映画の中に、1957年 怒れる12人の男 1982年 評決 この2作品は何れもシリアルな作品。怒れるの方は陪審員が1人の陪審員に導かれ、最終的には被告が無罪までを陪審員の部屋を中心に淡々と進行し、観る者までもを陪審員の1人にしてしまう迫力を感じました。
評決は医療を題材に酔いどれのダメ弁護士が被告のために法廷で陪審員に向かって弁護を展開するシーンが深く印象に残っています。映画は何れもアメリカの作品です。今回のイチケイのカラスとは法廷モノであっても全く異なりますが、映画のイチケイのカラスも録画して観ました。正直に言いますと、映画はマッ、こんなもんでしょう、でした。この作品は2018年から1年間程度定期購読している青年誌、モーニングに連載されていました、いましたが大変印象が薄く、モーニングだったか、ビックコミックだったかハッキリとしない程度で、キャラクターも漫画では主人公ではなく脇役(映画、ドラマでは主人公)の入間みちる、この人物の顔位しか記憶に残っていません。
テレビドラマは脚本の金メダルです。真実をハッキリとさせて正しい結果を導く、これはナニ法廷限定ではありません。町の事業を例にとるまでもなく、事業の意義、予想される結果をしっかりと検証し最大の効果を得れるために担当者は最大限の努力する、これに尽きます。しかし、それは役場だけではありません。全く同じことが私たち議員、議会も同様です。アップの写真、プリントし日々見れる場所に掲示して戒めにしますよ、入間みちるさん。