ダービー優勝馬

 熱海の専門学校そして、ホテル奨学生として入社し、昼は専門学校に。朝と夜にホテルでのお仕事と、現在の観光業に携わる基本中の基を作った時代に、ホテル寮が同じ部屋。スイス ホテル研修のジュネーブ ホテル ドゥ ベルヌでも、なんとまぁ一緒で、そこの寮も一緒、と言うヤツが静内で暮らしていた。

 

 実家がサラブレットの生産者の牧場でヤツは次男。長男が牧場を継ぐ。彼はジョッキを目指したが、体重で諦め、ならば観光業に、と専門学校に。兎に角競馬が好きなヤツで、ジュネーブで、仕事を終えて時間持て余していた時、ヤツは日本から持って来ていた、優駿だったか、書籍の名前は記憶にないのだが、その競馬の書籍の巻末に掲載されていた、昭和49年(1974年)までに日本ダービー優勝馬を順番に言うから、ヒデトシ間違っていないか、お前書かれている馬名を確認しててくれ、と。

 

 競馬のサラブレットの馬名は大体が長く横文字が多い。ヤツは見事諳んじて間違いの一つもなく、全部言い切った。これには感服した。どんだけ好きなんだ、と。

 

 ヤツは専門学校卒業後に観光業に一度進んだが、馬が諦めきれず、実家の牧場に戻った。静内での結婚式には、熱海時代の先輩、友人が大勢集まった。天真爛漫でヤツを悪く言う人を知らない。そんなヤツの奥さんから、逝去の報せを今日受け取った。マイッタ。

 

 春、ヤツが愛してやまなかった、サラブレットを見に静内に行くことにする。ヤスヒロ、ゆっくりと休め。ホ ント、お前と一緒の時間を過ごせて楽しかった。今夜は色々と思い出に浸ることになする。        合掌