記憶にありません

 今国会でも多く登場し、さらには過去にもこのフレーズが数多く登場した。無いものはない。タダ、自分として考え得る最大限の表現はある。

 

 神に誓い、※ 洋画では良く「両親のお墓に誓い」と言う事も聞きますね。神明に誓い、絶対に断じてございません、もう一度言います。ありません、と断言はできる。自分が言っていない、していないのであればね。

 

 記憶にないは、していましたカモ、言っていたカモの可能性が極めて大きいのです。裁判官の心証はどうなのかは分かりませんが、裁判は証拠が全て。でも、その証拠、証言も捏造、虚偽と幾らでもあります。

 

 相手の身になる、それがを一番に考えれば、普通に暮らし、多くの人々と同じレベルの常識を持ち合わせれば、おのずとすべきことは見えるハズ。本町は今、町長の選挙公約一丁目一番地的な「みんなでそだてるそっとゃんこ条例」なる新たな子育て条例が12月定例に議案上程のスケジュールで進められています。

 

 寺岡BOSSはこうした場面では「自分の頭の上の蠅も「ぼえない ※ 追っ払えないの意味」のがナニこいている「※こいている、ナニを言っている」」とたんびたんび言っていたのを久しぶりに頭に浮かんだ。

 

 どうなるかな定例会。