1964年の東京五輪での男子柔道って、確かまだ女子の柔道はこの時種目はなかったな。その男子柔道、無差別級で決勝、日本の神永がオランダのヘーシンクに敗れた時、世の大人たちは嘆き悲しんでいた。お家芸の柔道でその頂点とも当時は印象にあった無差別で敗れた。多分、その衝撃はメガトン級だったのかも知れない。
当時まだ小学生だったから、嘆く大人たちの気持ちは全く分からなかった。その後何年も経ってこの時の事を自分で考えた時、考えようによっては、そんだけ日本で誕生した柔道に対して、実に多くの国々の方々が競技に参加してくれた結果であり、むしろその点は大いに喜びのことだと感じたのを記憶している。
そして今回、大野選手の決勝で勝った瞬間、ヤッパ安堵の思いで一杯になった。これがフェシングなどで日本の選手が金をとっても嬉しい気持ちはあったとしても、安堵ではない、そんな思いしています。ヤッパ、DNAはニポン チャチャチャなんだな 笑
それにしても日本のサッカー・・メキシコ五輪で五輪初の銅メダルを手にした大会で釜本さんが大会の得点王に輝いた思い出の大会。この三位決定戦相手がメキシコだった。ラテン系の国相手にメダルを獲ったのであった。三位決定戦は録画の放送ではあったが、テレビ中継されまだ白黒テレビであったが試合終了まで観終えてから幌別中学校2年B組の佐藤君は学校までミヤタ自転車ドロップハンドル10段変速で遅刻して登校したのであった。
確か2時間目の授業の最中であった。サッカー部に所属していた仲間たちは教室に入るなり「結果はどうなった?」視線が集まる。佐藤君はウンと頷いた・・授業が終えて休み時間、興奮冷めやらぬ佐藤君の実況解説がトウトウと始まったのはモチロンの事。
そのメキシコに2対1の勝利。嬉しかった。しかし、ドイツ、ブラジルの予選1回目は今回大会の決勝戦を見る思いで録画みたが、ヤッパ、カナリア軍団はスゲェーーー。果たしてメダルは夫々どの国にが楽しみな男子サッカーだ。