超法規法

 超法規法・・コノ言葉を知る世代は多分、50代後半からになるのかな。1970年代から80年代にかけ。日本赤軍などが海外でテロ事件を起こし、既に逮捕されていた仲間の保釈を政府に求めた際、当時の三木内閣、福田内閣ともに、法律を越えた法律とし超法規法の元、保釈し人質となっていた現地の方々を開放させました。

 

 国外から弱腰などと批判を浴びました。しかし、犯人の要求跳ね除け強硬策に出たなら間違いない事は人質は犠牲になったことでしょう。ならば批判する国々で同じ状況に置かれ、人質に政府要人、王室関係の方々が入っていたとして、果たして強硬策をとれるのか・・出せない答えなのではないのかと思うのです。人命は等しく平等、この時の日本政府の措置を私は強く支持する立場です。

 

 今回の議事日程の変更も最終的には委員会などをどの様な形であっても開催後に決定とした形はとるでしょうが、それ以前に経験のしたことのない事態です。なによりも優先は夫々の健康の担保なのです。その遂行のためには慣例、規則などは二の次、三の次です。速やかな判断と決断が求められ、同時にその根拠となり得る理由を同時進行で進める事が肝要なこと。

 

 25年間お世話になった会社の最後、札幌地方裁判所 配達証明付き特別送達 中には民事訴訟起訴状があり、22億円の短期分借入を即刻返済すべし、の訴状。着陸までの数ヵ月最前線で対応せざるを得ない状況で学んだ事が、今の自分の基礎中の基礎と、こうした場面ではより強く感じる。実戦体験者は困難に強いよぉ。※ この封筒と訴状一式※証拠一覧書類など、現在も私の手元、BOSS遺産金庫で出番を静かに待っています。

 

 なんにしても感染者、そして濃厚接触者の陰性と健康を回復をなによりも願っています。