アサヒロ-2

 記録ビデオテープがまだVHSとベーターだった時代。テープをカメラにセットできる一体型カメラがソニーから販売された。会社で購入してもらい色々と活用していた。事故の起きた13日、SAJバッヂ(級別)テストを従業員のためにナイターで実施してくれたので、カメラで撮影しておこうと思い、会社に残った、※ 当時、結婚して町内に住宅を借りて暮らしていたので、17時の通勤バスの利用はしないで、ナイタースキーが終えてからの通勤バスで帰宅予定としていた。

 検定が終えた時に、遭難しているらしいスキーヤーいる、と言う話しが伝わってきた。アサヒロと二人で、1人が救助され、山荘のレンタル(現在のホテル ニセコアルペン食彩 ひらふ の場所で当時、山荘のレンタルスキーとスポーツショップがあった) にいるらしい、と言うことで行ってみた。

 一人の女性が頭に包帯を巻き、顔には少し血が付いた状態で椅子に座っていた。意識もしっかりしていて、状況を聞くと「友人(女性の同僚 勤務先は日本航空のスチュワーデス※現在のキャビンアテンダントですな) と二人東山スキー場からの戻りルートを間違い、春の滝の上部に出てしまった。暗くなってしまったので、私が先にお尻で滑りだしたところ、途中で岩の上に積もっていた雪に乗り上げて大きく飛ばされ、落ちた時に少しの時間気を失っていました。気が付いて上を見ましたら、待っていた友人の姿が見えず、宿にも帰っていない事がわかりました」と言う。

 ナイター照明も消えスキー場は真っ暗に。この時私はアサヒロに「ヤッパリ、飛び職だけあって、飛んでしまったんだ」と言ったらしい。この話しを事ある度にアサヒロが「ヒデトシさん、あの場面で、なんて言う冗談言うんだ、この人わ」と思ってバカなのか、と思った、と言うのである。本人は全く覚えていないがアサヒロはしっかりと覚えていて、冷やかすのだった。

 その夜、アサヒロと二人でアサヒロが運転する雪上車で、アルペン第三ゲレンデまで上がりマイクで私が「〇〇さん、今捜索していますから、心配しないでその場から動かない様にしてください」と何度も繰り返しながら、遭難したと思われる付近を30分位グルグルと回ってアナウンスした。

 今でもこの遭難したスッチーの名前、フルネームで覚えています。アサヒロもこの話しでフルネームを私が言うと、良く覚えているね、と言っていた。遭難者は翌日の早朝に無事に発見され、直ぐに救助に向かいました。アサヒロとの一番の思いでです。