アサヒロ

 昭和52年12月から仕事したアルペン山荘。住み込み寮があり、1部屋に4台の二段ベットが置かれ、最大8名の合宿状態であったが、楽しい毎日だった。この寮の廊下に通い(通勤)で仕事していた、地元の農家の青年たちの中にアサヒロがいて、彼を最初に見たのは廊下をマージャンのメンツを探している時だった。今考えても何故、この時の事を昨日の事の様に鮮明も鮮明、今もテレビの画面でその時の情景を見ている位にハッキリと見えている。

 さすがにアサヒロが来ていた服装までは見えていないが、彼が頭に白いタオルを姉さん被りにしていたのが決定的に私にアサヒロがを印象つけたのだ。オカシナ奴だ、と言うのが強烈に残ったのだ。数年後から彼との付き合いが「本格化」 笑 したのだ。キッカケは忙しさも一段落した3月、希望者全員が参加できる時間帯として「早朝の従業員大回転競技 アルペン杯」を開催することになった時だ。まだ暗い4時頃から準備に入る。この頃、アサヒロは雪上車のボスであった。彼にお願いして竹ポールの荷揚げ、機材などの運搬をお願いしたのだ。

 彼は通常の仕事以外であったにも関わらず、気持ちよく引き受けてくれた。明るくなってきたと同時にスタートして7時過ぎには終えて、撤収まで彼ら雪上車部隊にお世話になった。その日の夜に表彰式を兼ねた懇親会を当時の第二食堂で、盛大に行った。彼ら雪上車部隊にも参加してもらい、みんなで楽しい時間を過ごしたものでした。ある年に彼から、後輩の雪上車オペレーターが早朝担当してくれた。当日の夜表彰式とは別に一升瓶彼の所に持っていたら「俺は良いから、Sを労ってやって」と言う。彼の彼たる後輩の面倒見の良さなのである。

 アサヒロとの思い出は数回に分けて投稿します。つづく