自室ではディスクトップのパソコンを使っています。今日、少しほったらかしにしていた写真フォルダを整理しようと開いたところ、あ~、この写真なぁ、と開いて見るとはなしに見るとアレッと。今まで全く気が付かなかったのに、なんで「気づいてしまったのか」悔やまれます 笑
気が付かなかったらそのままで良かったのですが、気が付いた以上は事実を調べなくてはならなくなりました。とは言っても・・と実はここまで入力したところで、ピンポーーーンと閃きが。そうだ、Yさんに聞けば分かるかと、直ぐに携帯にコールした。10数分のレクチャーいただき、バス行き先表示から、なんともひらふスキー場の壮大な運命ドラマを聞かせてもらいました。
とてもYさんに会いたくなった。今この時期なので、直ぐに行動に移すことは出来ないが、落ち着いた早い時季に神奈川に行ってきたいと思う。で、バスの表示は端折ってその理由を示すなど無礼千万なことは出来ないので、Yさんからの話しは暫くは自分だけのものとします。
アッ、一体なにがどうしてどうなったか・・そう肝心な事を知らせていませんでした。バスの表示は比羅夫駅とあります。昭和36年、紹介の写真は36年12月にスキー場にリフト新設だったので、その2,3年後と思いますが、冬、バスが比羅夫駅に行くことなど、現在でも極めて困難です。国道5号線経由かと思ったのですが、そもそも当時のバス能力で5号線から、比羅夫駅までの急峻な坂道を上り下りは絶対的な不可能だったので、一つの方法として、坂の上にバス停がありそこまで人々は徒歩だったのかと。しかし全く見当違いだったのですよ。
写真は敢えてボカシません。男性の一人はアルペンスキー選手としてオリンピック候補にもなった方がいらっしゃいます。改めてニセコひらふ、すげぇな。