午後のテレビ番組で木村太郎さんのコメントが実に印象に残った。テーマは正月の帰省、と言う事で著名人が色々と意見言ったり、視聴者からの体験などを紹介していた。
その中で嫁さんが旦那の実家に行くのは、なんだかんだとツライ、と言うのが多かった。お姑さんがソファーに座って、と言っても遠慮して、ソファーを背もたれに「床」に座る方の話でお姑さんが入浴している時だけ、ソファーに座り、出てきた気配感じて慌てて、床に座り直す・・なんだか悲しい。子どもは子供で、田舎に行くと、知らない虫がいて嫌だ、Wi-fiの電波無くて嫌だ、果てはお土産に悩む、などなど。分からんではないけどもね・・さだまさしさんの関白宣言を思いだした、♪ 姑小姑賢くこなせ、愛すれば良い
木村さんがこうした話しを聞いていて、口を開いた。「一体なにを考えているのか。贅沢な悩みだ。自分たちの時代、帰省は年二回で盆と正月だけ。帰省が楽しみでしょうがなかった。普段食べられないご馳走が腹一杯食べれて、お土産は持って行かずとも帰る時はたくさんのお土産を持たせてくれた」正にです。
落語に「藪入り」と言う人情噺の話しがあり、今の円楽師匠の師匠先代の円楽さんが得意とした噺だった。師匠はこの藪入りの時、子どもが奉公先から帰省し、親心のくだりになると涙を流して語ったものだ。聞いている方も涙が溢れる。物質的な物は確かに豊富で、食べたいと思うものは大抵口にできる時代。そうした社会にあって物質的な物が溢れかえるほどあればある程、人の心にある琴線が少しずつ失われているのかもしれない。殺伐、そんな言葉が妙に合う時代なのかな。
さて、写真は狩猟民族の方々です。これからスキー場に向かうため歩いている。多分20分以上は要するが、彼らには徒歩圏内なのである。この光景に慣れた。当初は驚いていたが、「歩く」幸せを感じながら滑る楽しさに胸躍らせているのかもしれない。