コンビニ、ファミリーレストラン系が年末年始に店舗を休みにする、と言う事がニュースで報じられていた。その様な事がニュースとなるのだから、なんだかなとは思ったが、そゆう時代だったのだな、とも思った。
昭和30年代、40年代、50年代の記憶は不確かだが、30,40年代はソモソモ年末年始に開いている店などホボなかった。年末はオフクロが店が開くまで(営業するまで)の食料を買い、普段は袋入りしか買わないミカンを箱で買う。子ども心にオッーー、箱入りのミカンだ、と興奮もした。笑 コンビニもカップ麺もない時代だから、食料の買いだめは重要な事だった。即ち備える、と言うことが当たり前に学習もしていたし、身に付いたのだ。
思えば人間と言うものは普段の習性がイザと言う時に、考えずとも身体が、脳が働くというものだ。災害においても然りと思う。備えるが身についているのと、そうではないのでは命に関わるのだ。習性とはそれは恐ろしいもので、私は日々その事を体験しているのだ。見たい番組は録画する習性が付き、再生して見ているとスポンサーには大変申し訳ないのだが、CMは早送りする。この習性は時として大馬鹿な行動となる。リアルで番組見ていても、CMになるとリモコンを手に取り早送りボタンを押す。しかし当たり前だが早送りにはならず、おかしいと思い何度もボタンを押している内に気が付くのだ。残念なのは、一回で済まないのだ。同じ事を最低もう一度してしまう。馬鹿の部分と習性の部分でこの行動をとるのだ。故に習性は恐ろしい。
法律で年末年始は最低社会が動くに必要な業種の方々だけ仕事していただき、買いだめしておけば間に合う業態は全休しなければならないと定める。その事が繰り返していくと習性となり、備えるが身に付き災害から命を守れるのだ。昭和30,40年代の社会環境再現し人間としてノーマルな社会環境に慣れればよい事だ、ただそれだけ、と思う。