ローマ教皇

 12月の定例会を前に委員会の所管部署からの議案提出説明を受けるが中にはキチント説明をお願いしますよ、と、説明に大いに不足を感じさせる先もあり、職員と議会でより良い町づくりの思い共有と思っているのだが、そうは相手は思っていないのか、と勘繰りたくもなる。ならば議場で議論をしようじゃあないか、と思っても委員会の様に質疑回数に制限のないのであればいいが、一般質問は「3回まで」の厳しい制限があるのだ。

 

 質問通知がまずは1回目(議場では1回目、この通知内容の質問) 答弁で不明な点、さらに内容の深い答弁を求める場合の質問2回目。それでもまだ十分な答弁と捉えることが出来ない、答弁が不明、で3回目の再々質問で、その先どんなに不明であろうが、回答になっていないと感じても、その質問に対してはジエンドとなる。※ こうした制限を設けないと際限のない事態になることも十分想像できるのだが、ならば「議長に多くの権限を持たせての議事捌きで議論十分な議場を目指すべき」と考えるほどに簡単でもないのだろうな、キット。

 

 バチカンで法王選挙(コンクラーベ) ※初めてこの言葉を耳にし、その内容を知った時正に「根比べ」だな、と一人愉快になっちまった事を今回の教皇来日で思い出したのだ。そして今日のニュースで信者の方々は「パパさん」さんと教皇をお呼びしていることに何とも言えぬ心の温もりを感じたのだ。教皇がカードにして世界の教会に配布した、一枚の写真。私が初めてこの写真を知ったのは平成7年7月22日号の週刊現代だった。製本されている雑誌のホッチキスを丁重に取り除きA3のクリアーホルダーに入れ机の一番大きな真ん中の引き出しに保管している。不定期ではあるが時折取り出して見ている。

 

 初めて見た時に「俺は今、この少年に対し恥ずかしくない生き方をしているのだろうか」と本当に暫くの時間写真を直視して自問した。今でもこの写真を見るたび胸の奥がザワツクのだ。この少年が自分の息子、孫と思うと・・・