雑誌に化学の記事があり、高校3年生の夏休み前のアル出来事を懐かしみました・・決して17才青春真っただ中なんって甘酸っぱいものではなく、なんだコノ野郎的な汗臭さ満載 笑
登別高校3年B組・・中学校入学した時、1年F組で石田昌平、英語の先生が担任だった。この中1以外、高校卒業までズッとB組だった。血液型がBなので深く関係していると信じていたが、社会に出てそれは全くの無関係を知ったのだ。当たり前だちゅうの。で、3年生の時であった。化学は市田先生。歳の頃は多分、40代中から50代前半って言う感じの、生涯を教職に捧げた女性の教師だった。※ 卒業してからの同窓会での話題でも結婚せずに生涯を終えた、と聞いて切ない思いもした。
そんな先生の化学の授業、午後の授業のような気がしている。50分授業の時間で、15分か20分経過した頃かな、席が隣の登別温泉で今も床屋を営んでいる、Aとふざけた話しではなく、なにかの会話をしていた。市田先生が私を指名し質問した。話しを聞いていなかったので答えに窮し、少し困ったと思っていたら、先生は「コノ問題が分からないのなら、この教室にいる資格はありませんね」とサラッと当てつけがましく言い終えるが早いか、私が席を立ち上がったのが早いかで、そのまま無言で教室の後ろ出入口の引き戸を開けて教室を出ようとした時、市田先生は慌て「誰も教室出ていきなさい、と言っていませんよ」と言っているのが背中越しに聞こえたがそのまま廊下に出て、非常階段を降り、途中でコカコーラの瓶を買い、徒歩5分程度の幌別川の土手の草むらに横になり、夏の青空眺め、何かを考えたのだろうが、何を考えたのかは全く覚えていない。
廊下に出た時、Aが指名されたが彼も答えられなかったが、市田先生は出ていく必要はありませんから、なんって言っていた。土手で望外の休憩時間を過ごし授業が終えたのを見計らい教室に戻った。その日の放課後ホームルームが終わり、部活の準備しいたら、担任の長内先生が私を呼ぶ。先生の所に行くと「英俊、余り市田先生をいじめるな」と。はぁ、スイマセンでしたと、頭を下げた。
どうにも相手が誰であろうと、自分の我慢の限界、明らかにそれは筋が違うだろう、など黙っているつもりもない。選択は二つと思っている。相手にするか、するなら向き合い納得できる付き合いをする。以外は相手にしない、ただそれだけなのだ。
この点はこの先も全く変われない。自分に組み込まれているDNAなのだから、目を閉じる時まで自分と付き合っていくしかないのである。でも、今は市田先生、謝罪はしませんが、先生の事嫌いではありませんでしたよ。女子の生け花、茶道の部活顧問を立派と本当にそう思っています。いずれ雲の上でまた化学の授業お願いします。
写真は夏の日の思いではもちろんございません。本日の新庁舎工事現場です。見事に鉄筋が組まれています。鉄が錆びる化学式を佐藤クン黒板に書きなさい・・先生、全く分からないので、代わりに恥をかきます。ジャンジャン