ブログで紹介した中継機の塩梅が芳しくなかった(何のことは無い、受ける電波が弱い位置だった、と完了してから判明)ので、再度設定をお願いしたところ、3時間近く作業してトップバッターが、私の手には負えそうも無いので、さらに詳しい担当から連絡させます、と。
二番手の方、確かに詳しいが、上手くはいかない。なので、過日サクサクと設定した方は、PCと中継機をランケーブルで接続して設定しましたけど、と伝えてもプライドからなのか、一向にではそのように、と言わない。なんども自分流貫くのだが、ダメ。
遂に彼も白旗上げた。PCと接続。15分で完了した。なんだかなぁ、と同時に電話が繋がった時、詳しい方に当たるか否かはモウ、運次第なのだ。でも15分で完了とトップ二番手と累計5時間程度はこちらとしては、つらいっすよ、マヂでね。
でも次第に環境は整っています。一連の作業していて、フッと思ったのが、仕事の出来そうな大人と言うのは、私たちが小学校高学年の頃に、その仕草から恰好が良く憧れ、意味も無くその仕草を真似たいのであります。その一つにまずは左手(多くの大人が左手であった) にしている腕時計で時間を見る時、スッと軽く腕を伸ばし、背広、ワイシャツに隠れている時計を出し、クイッと手前に手首を返しチラッと時計を見る。スッ、クイッ、チラッ・・これが恰好いいのだよ。腕時計してもいないのに、この仕草はよく真似ていたな。今は携帯電話や町のいたるところに時計あるから、こうした仕草する大人も見なくなった。
あと一つが言葉での説明よりも一目瞭然の写真にある、電話の受話器を肩に乗せ、頭傾けて受話器を押さえる仕草なんだけども、両手が使える状態でこれするバカはいない。当然両手が使われているのだ。片手に手帳、片手に筆記具(理想としてはやはりパイロット万年筆だな)を持ち、受話器から聞こえてくる相手の話しをメモしているのだよ。
当時は公衆電話も町中いたるところにあり、小学生が電話できる相手もいないのだが、なにかの拍子に公衆電話使うシチュエーションの時、モチロンこれをしてみたのだったが、今も鮮明に記憶しているのは、受話器が肩から滑り落ち、電話の台にぶつかったのだ。当然相手は受話器を耳に当てていているから、そのガツッーーーンと大きな音を聞いているのだ。恥ずかしいやらで大人の真似も楽じゃあねえなと、思ったのだ。今はそんな真似も出来ないしする必要もない。ある意味大人への憧れが希薄な寂しい時代なのかもしれないな、と感じた。憧れはなにもハワイ航路だけではないのだ。