今回、地域を含めた挨拶で、40有余年暮らした中で初めてお会いさせていただいた大勢の中に、大々先輩とも言える方にお会いできる幸運に恵まれました。この一つだけでも自分にとりましては、本当に嬉しい思いです。その方は昭和36年ひらふスキー場開業時からスキー場でアルバイトされた経験をもった方で、当時の記憶も鮮明に覚えておられました。
思わず話に引き込まれ立ち話で長くお邪魔してしまったのです。私の大先輩の永江さんが記録した「私史 ニセコアルペン物語」に名前登場していた、と聞いたので帰宅後、読み返してみましたら、確かにフルネームでございました。その部分をコピーして届けてきたのですが、その際にこの先、どこかで一度ゆっくりと当時の話しを聞かせてください、とお願いして参りました。とても楽しみです。ご存知の通り、世界中から不動産投資が加速度的に進んでいる地域ですが、昨日、今日にできたスキー場ではないのです。多くの大先輩達が苦労して苦労して今日に至ったスキー場です。
現在の開発がこの先においてどのように地域に影響してくるのかを考えた時、少なくとも好むと好まざるに関わらずに変化しつづけるのであれば、より良い方向に進むべきことは言を待たずです。私自身、何年の寿命なのか当然わかるものではありませんが、目を閉じ閻魔大王の審判を受けの後、新幹線並みの速度で地獄行きが決まったとしても、大王様になんとかお願いし、地獄行く前に、天国の蓮の上で過ごしている、大先輩の方々に、「佐藤、大先輩皆さんの遺してくださったスキー場遺産を極微力の働きでしたが、僅かでも大先輩の意思、思いの丈だけは後世に残せました」この点だけを報告させて貰いたいと思っています。
この町で暮らす全ての住民の皆さまが、この町にひらふスキー場があってよかった、と思ってくださる仕事、今日まで半世紀近くに亘り関わってきた平和産業である観光産業の発展が地域に大きな域内経済の循環を目指し一層向き合ってまいります。
このホームページも、選挙期間中に入るため更新を一時停止します。21日、投開票日に再開し、このホームページが閉じられることなく、議会情報を発信し続けられますよう、5日間全身全霊を傾けてまいります。期間中お騒がせ致しますが、何卒ご容赦ください。
昨日の夕方、婿殿に手伝って貰いながら選挙カーに看板取付していましたところ、見慣れないワゴン車が入って来ました。3人共ネクタイにスーツ姿。素早く降りて来たのが道議の市橋さんで続いて吉野議員。わざわざ、ご丁重に為書き持ってきてくださいました。市橋さんとは実は随分と以前からの知り合いで、私のBOSSに関しての共通の思い出話も多数共有している方なのです。
また何時か、その思いで話し披露します。