BOSSに誓いをたてる

 指を怪我したそもそもが、政治活動のための看板製作中。結局、友人の大工さんに応援してもらった看板を今日、立てることができた。今回は3枚製作し、一枚は自宅のロッヂ玄関前。そして今日立てることができたのは、サンモリッツリフト株式会社 寺岡 四郎社長の歯科医院を兼ねた自宅敷地。

 

 BOSSの不動産を取得された所有者の方に事情を聞いていただき、どうかこの場所に設置させていただきたとお願いし快諾いただいていたので、午後から孫と一緒に設置に。統一地方選挙の今年、倶知安町長選挙は1月に終え、新町長が現在町政を担っている。豪雪地の町で厳寒期の1月選挙には大きな理由があり、当時町長だった、砂川市出身の松実氏が故郷、砂川市の市長選挙に出馬するため、1月で辞職したのです。それ以降当町は1月町長選挙と相成った。1959年(昭和34年)のことでした。

 

 新たな町長になられたのは、当時後志支庁長(現在の後志振興局)の高橋 清吉氏。実はBOSS、周囲から「新町長与党議員」として、町議に出馬すべき、との要請で出馬し、それから2期8年、歯科医院開業、スキー場開発(初めてのスキーリフト建設するニセコ高原観光株式会社 取締役)と多忙な日々を送ることになった。

 

 今、ささやかなサイズのロッヂ営業しつつの状態は、BOSSの当時の日々からすると、とるに足らない仕事のボリュームと思う。BOSSのひざ元に看板を設置し、BOSS始めひらふスキー場の開発、発展に汗した先人の思いを決して忘れることなく、スキー場と言う町民共有の財産を住民の暮らしに有益に活かせる仕事する事を誓いました。なんとしても、の思いが日増しに募ります。