後援会連絡所の立て看板作成のため、昨日ホームセンターで材料を購入し、一部の材料に電動カンナをかける為、スキーワツクス用のバイス台をロッヂ車庫に移動。材料固定し、準備完了。カンナは初めて使うので、取説を読む、フムフムなる程。まずは1本かけてみる。オッ、いいじゃん、やるでないのボクは。と、すっかり調子に乗る。豚もおだてりゃ木に登るパターン。しかし、カンナ屑が結構な量出て、屋外はまだパラパラと弱々しいとはいえ雨なので、このまま屋内で作業する事にし、カンナ屑の吹き出すところに、袋をつけてみた。
袋のふくらみを試すため、スイッチ握り作動させてみたところ、これなら大丈夫と確認した所で、スイッチから指を離して、左手を移動した、その瞬間にカンナの刃部分がまだ回転していたのでしょう、ジャストの角度で左手の人差し指が触れ、アッと言う間もなく、なんだどうしたの状態に。作業手袋脱いだら、爪までは及んでいなかったが、側面約2,5cmが「エグレタ」状態。切れたのではなく、削がれた感じでしょうかね。血こそ噴き出る程では無かったが。ナカナカ出ている。まずは、反射的に指を口に入れた。
この時瞬間思ったのが、時間戻れ・・戻らないって。で、近くのタオルで指を押さえて圧迫止血。痛みはそうでもないが痛いには痛い。まずは自室に戻って、財布と保険証を持ち、隣の娘宅に行き、お世話になっている医院に向かってもらった。
到着後、事務長でもある医院長婦人が、どうしたの佐藤さん、と心配してくれ直ぐに処置室に。血も殆ど止まっているので、処置後、待合室で待っててと言う事で、待合室に行くと、概要で紹介したT君と話しながら気を紛らわせ少しずつ増す傷みに耐える。時間がかかりそうなので、一度娘を帰す。小一時間待った後、検査室ベット(手術台)に案内いただき、やがて先生が来て、麻酔を。先生、痛いからなと言ってはくれるものの、麻酔は歯の治療の時位しか経験なく、身体が海老反りましたよ。この世にあんなに痛いものが存在している事を人生64年で初めて知ったね。
縫うというか、もうお裁縫状態でした。先生いわく、皮がくっつくかは後は神様次第だな。ハイ、毎日お祈りします。
身体の一部を縫うのは中学校3年以来なのだ。写真は卒業アルバム撮影の時、頭にまだ包帯まいている、お間抜け顔が私。体育の時間、授業前に友人の中村君と私がキーパーになり、よっし、こぉーーい、とばかり横に飛ぶセービングで遊んでいた時、下に引かれていた石灰に足が滑り、ゴールポストの角柱の角に頭強打。イテェーーと手を当てたら、濡れていた。頭皮が破れ血が出ていた。しかし、今考えると凄い時代だ。先生に報告すると、病院に行ってこい、と。で、中村君と二人で歩いて伊藤外科医院に行く。20分位かかっと思う。で、病院で、縫っておけば大丈夫だろうと、3針程度縫った。そしてまた歩いて戻ったのだ。帰宅して親に状況話しても、その程度で良かった。頭は血が出た方がいいんだ、と安心した様子だった。もしかしたら、その時強打した事で、頭が常人と考え方が違ってきたのかもしれない。そうであれば、強打に感謝だ。天邪鬼自認している私にとって、物事をどうしても多角度的にしか捉えることが出来ない頭になっているからね。
好事魔多し、よく言ったものです。午後、友人の大工さんと別の看板の件で打合せした時、彼は「カンナは良くやるんですよ、大体が第一関節から飛ばしてしまうんですよ。それとサンダーも」ふむ、指の頭は飛ばなかったから、幸いなのだな。今日の事故は何よりの自身の戒めとしてしっかりと学習できました。皆さんも本当に十分にお気を付けて日々お過ごしください。
キーボード、左手中指君大活躍・・で、思いましたね。人差し指でも中指でも、入力速度に変化なし・・マッ、その程度の能力つうことですな 笑
1970年第22回卒業の幌別中学校サッカー部3年生の仲間。Jリーグはまだなく、ヤンマー釜本、三菱杉山、東洋工業横山、そんな時代でした。
ボールも革製使えるのは試合の時だけ。練習はゴムボールのみ。シューズは当然、ズック製。でも面白くて、暗くなるまでボール追いかける日々でした。
そうそう、オフサイドルールが導入されたのは私たちが中1の時で、先輩達もそのルール理解するのに実戦形式を繰り返し学習していました。懐かしいですね。