瀕死のライオンに何故、角栄さん、と思われる方、出来るだけ簡潔にお伝えしたいと思いますが、長くなる場合は、コーヒーでも飲みながらお読みください 笑
まずは上の写真3枚ですが、スイス ルッエルンの氷河公園にある断崖に刻まれた慰霊碑です。1974年、ジュネーブのホテルで仕事していた時、ルッエルンにいる先輩を訪ねた際、初めてここを訪れました。地元の少年と一枚記念撮影。カミさんと二度目に訪れたのは、2009年スイス国内を二人で旅行した際に、同じ場所で撮影したものです。このライオンの慰霊碑は、フランス革命の際に、ルイ16世を最後まで護衛した786名のスイス傭兵、600名が戦死、残り全員も革命軍に捕えられ処刑されています。
このスイス傭兵の英雄的行為を伝え聞いたデンマークの彫刻家、トルバルセンが1821年に制作したものです。その昔、主だった産業のないスイスは「傭兵」は極めて大切な収入源だったのです。現在もローマにあるバチカン市国の衛兵は全てスイス人の衛兵なのです。スイス民族は日本人同様(現在はどうか不明としておきますが)忠義に厚い国民性と私は感じています。
槍は錆びてもこの名は錆びぬ・・赤穂浪士に助太刀を買ってでた、槍使いの名人、俵星玄蕃を三波 春夫さんが歌いあげていた、この歌と忠臣蔵は、私の生涯テーマの一つでもあり、受けた恩は石に刻めなのです。話しが逸れるのは私の定番なのでご容赦いただき、本題に・・好き嫌いは別として、私の最も好きな政治家、田中角栄氏。この写真集は1985年、町内の旭書店(今はありません)で購入した一冊です。今も時折ページ捲ります。角栄氏のロッキード裁判全公判を傍聴したのが、角栄氏を師と仰ぐ、小沢一郎氏、そして小沢氏に師事したのが、石川氏。連綿と続く、ある一つの明確な「筋を通す」を私は感じています。
俵星は蕎麦屋に身を落としてまでも本懐を遂げる、杉野十平次に「命惜しむな名をこそ惜しめ、立派な働き祈りますぞ」と伝え別れます。北海道革命、成すべきことを成す。浪花節であろうが、なんであろうが、人としての道を踏み誤らない。そこだけは生涯間違えたくはないです。