今、NHK道内ニュースでは、JR北海道の鉄路存続に関連した、両候補の考えを取り上げて伝えていた。これは地域沿線住民のみならず、物流、観光、などにもその影響を及ぼす事になるので極めて大切な課題の一つである事は言を待たずとも誰もが感じていることだと思います。
石川候補と鈴木候補の大きな違いは、国(政府)に対しての向き合いかと私自身は感じています。どの程度の依存を今後考えるのか、と言う点です。鉄路の問題は恐らくは国に支援要請しても、望む結果は得られないと思っています。私たちの日々暮らしの中で、どの様な選択を住民自ら示すのか、ここが最も大切と思いますし、なによりも交通弱者に対しての可能な限り最大限の担保を約束する、と言う事ではないでしょうか。
自分は、私は車あるし、運転できるから関係ない、確かにその様な環境にある道民多数と思うのです。一方都会では、公共交通機関の充実は言うまでもありません。買い物難民と表現される、高齢者の方々や車の運転がままならない住民への交通機関の確保は生存の危機をはらんでいると言っても決して過言ではない、と思っていますし、この現象は今後増々顕著化すると思います。倶知安と太平洋側にある伊達市を結んでいた鉄路「胆振線」。この鉄路の歴史もザッリと説明すると、京極町脇方の発見された鉱石を製鉄所のある室蘭まで輸送目的で整備され、昭和61年の廃止まで列車が運行されていた。
言うなれば、炭鉱から石炭を運ぶ目的で整備された道内の主要鉄路同様に、国のエネルギー政策に翻弄されながら、時代、時代の中でその姿を変えざるを得ない側面があると思う。国はその目的を果たした、と判断すれば容赦なく廃止へと方向転換をするのは、なにも道内の鉄路の例を見ずとも分かることではないかと思う。北海道の持つポテンシャルは、食糧生産、観光資源、広大な面積(コノ、広大な面積が大きな負の部分を現在は足枷となっている点も否定できないが、自立する意味においては寧ろ大きな財産ではないだろうか)こうした利点の活用ができるセンスを持つ新たなリーダーに相応しい候補を有権者の私たちは見極め、一票投じたいものです。
欧州の諺から・・一頭の羊に導かれる百頭の獅子は百頭の羊になる。一頭の獅子に導かれる百頭の羊は百頭の獅子になる。
写真は伊達市の「北舟岡駅」です。登別高校2年生の夏休み前、親父の会社社宅が伊達市舟岡に完成し、引越すことに。当時、室蘭工業高校に通学していた弟は、東室蘭までの通学列車に間に合うバスが社宅近くのバス停からの便があったのですが、私の場合、登別(高校は幌別駅下車)までは始発に乗り、東室蘭乗り換えでなければ間に合わず、始発に合わせたバス便はなく、毎朝伊達紋別駅まで約40分かけて歩いたものです。当時から、北舟岡駅にはホームはあったかと思いますが、時々時間調整で停車するだけで、ここで下車することはできなかったのです。今は舟岡も多くの住宅があり、一般の駅として乗降できる様になっています。