
ひらふスキー場、ニセコアルペン山荘に仕事のご縁をいただいたのが昭和52年からでした。山荘で仕事し最も驚いたのが、一年の最も多忙な年末年始、社員は当直2名を残し、定時の17時になると町内への送迎バスで帰宅してしまう、と言う事でしたね。
熱海のホテルは温泉のホテルでは珍しい「日本ホテル協会」加盟のホテルで、ニューオータニ、オークラ、京王などのシティホテルと言われるホテルと同様の館内施設を有していました。
勤務していたメインダイニングでは大晦日、正月三が日の仕事が終えるのは午前0時を回り、除夜の鐘を聞く事はなかったのですからね。今で言うブラックなのでしょうが、仕事覚えるのが面白かったので全く苦にもなりませんでした。
サービス業はそうした仕事と思っていただけに、山荘の勤務は全てに新鮮でした。
ニセコに今日来たN君は、ホテルに建替えられてからのバイトで、彼はスルメの様な男。付き合う程に味が増すのです。トマムが開業した時、彼ともう一人の後輩と3人でリゾート列車で視察に行ったのが、つい最近の事の様によく覚えています。
当時の所得番付で全国1を何年も続けた、仙台の大資産家関兵馬グループ御曹司が始めた事業でしたが、見事に破綻。その影響もあったのでしょう、関兵グループも数年後に破綻。そもそもスキー場と言う開発のハズが、タワーマンション販売が主力で、スキー場はおまけの開発かと思う程に、全く滑る楽しさが見いだせないもので、視察当日に2時間程度滑り、予定では翌日も夕方まで滑ってから帰路の予定を、早い時間の列車に変更して帰って来たのです。
しかし、北海道はもとより本州でも北海道のトマムでなければ、スキーリゾートにあらず、の様な鐘太鼓叩いての大騒ぎだったのを、ナニ言ってやがんでぃ、スキー場にスキーに来てスキー滑る以外に楽しい、面白い事があるのなら、人口スキー場で十分じゃあないか、と嘯いていました。笑
写真は山荘の解体作業、そしてホテルに建て変わり、さらには赤枠の大人気だった、羊蹄山を真正面に見て入浴できる展望風呂を解体し、現在の新館工事の写真です。ニセコで仕事してから、アルペンのリフト、ホテルと色々な工事を体験してきました。そう言えば友人も「耕治」と言います。コレホント。
これから共通の友人の別荘で、歓迎のクラッシック樽生を飲みます。友遠方より来るまた楽しからずや・・ですね。