ひらふスキー場が倶知安の町に存在していなかったら、今この町はどのような変化をしていただろうか・・昭和36年にスキーリフト建設の資金は町外企業からのものであったが、誘致したのは、この町の有志の方々であり、北海道の中にあっても豪雪の町を未来に向けどの様な形で作り上げるか、その思いの結集が今日へと先人たちの流した汗と共に私たちに受け継がれている、と思っています。
好むと好まざるに関わらず、この町はまだ変化を続けると推測していますが、変化するなら当然ですが、より良い方向へと進むことができる様、今すべき事の全てに全力で向き合ってまいります。